チェコの2人の音楽家・スメタナとドヴォルザーク


 長い歴史の中で、現在チェコがある地域は多くの大国に支配されてきました。
そんな中、チェコ独自の文化を反映させた音楽を作ろうと奮闘した人物がいます。
それがチェコ音楽の祖とも言われるベドルジハ・スメタナです。

〇チェコ語が話せなかったスメタナ
愛国心あふれる楽曲で現在では知られているスメタナですが、実はチェコ語が堪能になったのは成人してから。
当時スメタナの生まれ育ったボヘミア北部では、ハプスブルク家の制度により公用語はドイツ語でした。
そのため彼は、チェコ語を習得すると決めてからは毎日勉強を怠らなかったといいます。

〇「わが祖国」の完成
スメタナの代表作「わが祖国」は、6つの交響詩からできた連作交響詩で、そのタイトル通りチェコの地名や物語を描写しています。
特に第2曲の「モルダウ」は世界的にも有名で、日本でも編曲し歌詞をつけたものが多くあります。
これらの作曲を行う過程で、スメタナは聴力を失ってしまいました。
それでも祖国を思って作られたこの曲は大きな反響を呼び、現在でも「チェコ音楽の祖」と呼ばれるようになったのでした。

さて、そんなスメタナから直接指導を受けていたのが本日紹介するもう一人のチェコ音楽家、アントニン・ドヴォルザークです。

〇音楽のそばで育ったドヴォルザーク
ドヴォルザークの家は肉屋を経営していましたが、父親はツィターという弦楽器の名手でした。
また、同じく肉屋を経営していた叔父もトランペットの名手であり、彼の身近にはいつも音楽がありました。
彼自身も6歳からバイオリンを習いその才能を伸ばしていましたが、家の経済状況が困難となったとき、
音楽を続けさせるようにドヴォルザークの両親を説得してくれたのがこの叔父でした。

〇アメリカでの生活
チェコにおいて音楽家としての名声をすでに確立していた1891年、彼はニューヨーク・ナショナル音楽院の院長職へ招待されました。
報酬も良く、素晴らしい名誉でありましたが、精神的な衰弱から体調を崩してしまい4年あまりで祖国に戻ることになりました。
アメリカでの生活が彼に「ボヘミアこそが自分がいるべき場所だ」と再認識させたのでした。

スメタナとドヴォルザーク。
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