筆者は2011年、ワルシャワとグダニスクを訪れました。
とても親切だったワルシャワの人々、戦後復興されたワルシャワの美しい街並みやグダニスクのロマンチックな運河沿いの夜景など、思い出はたくさんありますが、一番印象に残ったのはその歴史でした。
ポーランドはコペルニクスの故郷だということもその時に知りましたが、なにより感動したのはポーランドにおけるユダヤ人の歴史です。
中世のヨーロッパでは非キリスト教徒であるユダヤ人たちは各地で迫害されていました。
キリスト教徒とユダヤ人との間のもめごとは平等に処理されず、ユダヤ人がキリスト教徒にけがをさせられたり、ひどい場合には殺されたりしてもキリスト教徒には何の刑も課せられない、なんてことが当たり前のような世の中だったのです。
そんな中で1264年、ポーランドのボレスワフ敬虔公によって発布された「カリシュの法令」。
ユダヤ人の人権を守る内容のこの法令は、当時のヨーロッパでは異例なものでした。
法令の内容を見てみると・・
「キリスト教徒がユダヤ人を犯罪で告発したい場合は、2人の信頼に足るキリスト教徒と2人の信頼に足るユダヤ人による証言を必要とし、さもなくば告発は受理されない。」
当時は冤罪で処刑されてしまうユダヤ人がたくさんいたのです。
「キリスト教徒がユダヤ人を殺害した場合は「頭には頭を」の原則による死刑が適用される。」
「キリスト教徒がシナゴーグを嘲るという軽率かつ不敬な言動を行った場合、そのキリスト教徒は罰金として当局に2タラント(約50kg)のコショウを支払う。」
などなど、移民と差別が問題になっている現代の国々も見習うべき(死刑はともかくとして・・)内容ではありませんか。
他にも都市間の移動の自由、財産の安全や税の平等を約束する内容など。
これによって個人の自由と安全を保障されたユダヤ人たちは安心して信仰を守り、商売を行い旅行することができました。
第二次世界大戦の悲劇まではポーランドはヨーロッパで最大のユダヤ人人口を抱える国になったのです。
ちなみに、第2次世界大戦で一度は荒廃したユダヤ人地区ですが、現在ではクラクフのカジミエシュ地区などはおしゃれなカフェや個性的なショップがあふれる最新スポットとして生まれ変わっています。
ボレスワフ敬虔公も天国でほっとしていることでしょう。
みなさんもクラクフを訪れる際は、ぜひのぞいてみてくださいね!